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何が辛いのかが分からない辛さ


自殺対策支援 相談員の仕事のお話です。

※重い内容です。



若年層の方とやり取りさせていただくことが多いのですが、

その中で多く聴くのが

「何が辛いのか分からないけど死にたい」という声です。


これだけ聞くと、

甘えてるんじゃない?本当に思ってるの?もっと辛い人はいるのに、贅沢だ。 

そんな風に感じる方もいるのではないかと思います。

私もこの仕事に携わっていなければ、

そう思っていただろうなと思います。




相談にくる方は、本当に様々です。

虐待、DV、いじめ、人間関係の悩み、生活困窮、精神疾患…これらが複雑に絡むことで

「死にたい」という気持ちにまで追い込まれていく。

逃げ場がない、居場所がない、自分は必要とされていない、そんな気持ちで相談に来られる方もいます。


その一方で、

家族にも友達にも恵まれている。学校も楽しい。何不自由なく生活できている。それなのに、辛い。言葉では表せないけど、辛くて死にたくなる。


本気で思っているのかは分かりません。話を聴いてほしいだけかもしれません。

それでも、こうしてつながってくれたことには意味があると思っています。




話を聴いていくと、複雑な気持ちを抱えていることに気付かされます。


生きがいが見つからない

生きる意味が分からない

その日その日をやり過ごして生きている

なんとなく生きている

...


これを聴いて私は、

その気持ちを抱えることは、何もおかしくない、むしろ自然なことだ。

と感じました。


若い方だけではなく、社会人である私たち大人も、そう思いながら生きている人は少なくないのではないか、と思うのです。でも、それが普通だと思って生きているのではないか、とも思います。


なんとなく生きていることを、

「辛い」と言える、そのことが

私は尊いことだと感じます。



相談にきてくださった方から、

こんなことを聞かれることも少なくありません。


「相談員さんは何のために生きてるんですか?」


とても難しい質問で戸惑いますが、私は

「それを探すために生きています」

と答えることにしています。




生きがいがある

◯◯のために生きている

生きていたら楽しいことがある


よく言われることだと思います。

それは素晴らしいことかもしれません。

でも、私はそれが正しいとは言い切れないと思います。



今日を何とか生きのびる。

誤魔化しながら生きる。

死ねないから生きている。


生きるのは、簡単なことではない。


私も、今日もなんとか生きられた、

と感謝して、一日を終えたいと思います。