· 

対話の可能性


日々、仕事でもプライベートでも「対話」というものに関わる中で、大きな可能性を感じている今日この頃です。


私は今の活動を始めるまで、対話とは遠く離れたところにいました。

特に自分自身に対しては、「なんでこんなこともできないんだろう」「〜しなくちゃいけない」みたいな思考が強かったのではないかと思います。(今もありますが😂自分と対話するのは難しい)

そして相手に対しても、表には出さないまでも「絶対にこうしたほうがいいのに…」「それって間違ってる」

という自分の考えの押し付けや否定をしたくなってしまう自分がいたような気がします。


家庭内での価値観や、学校、職場の能力主義などによる社会的な背景も強く影響しているのかもしれませんが…。



けれどこの活動を始めて、対話的な人たちとの出会いを重ねる中で、少しずつそんな自分がゆるんでいくような感覚があります。


前に立つのではなくて、隣にいる

円になってフラットに話してみる

垂直ではなく水平な関係性


誰かを責めるのではなくて、悪者にするわけでもなくて、正しさを押し付けようともしない。

そんな優しい世界はたしかにあることを知りました。

優しい世界がゆえに、一つの正解を見つけたり解決策を求めたりすることはとても難しい。あいまいさに耐える、という部分は最初とても難しかったし、意味があるのか?とさえ思ったけれど…。



「対話を続けていくこと」が何より大切で

答えや意味は後からついてくるというのか。


じっくり効いてくるような、例えていうのなら漢方みたいなイメージだなあと感じています。

「中庸」という東洋医学の考え方と「対話」は近しいところもあるなと、ハッとさせられたりもします。


明確な答えがないからこそ、余白が生まれたり、新たな選択肢や可能性に気付くことができたり…。

答えを即座に導き出せるほど、世の中のあらゆることは簡単ではないなとも感じます。


もちろん、物事を進める、決めるための議論や友達同士の軽い会話も大切、必要で、その上で対話という方法も選べるようになっていけたらいいなあと感じます🍵


.

対話ってどんなの?どうやって触れたらいいの?と疑問が沸いている方へ。


対話的な人と関わり続けること、を個人的にはおすすめしたいと思っています。

その人の言葉、話し方、場への関わり方、、 それらにアンテナを張ってみる。 真似をするところから始めてみてもいいかもしれません。(私も真似させてもらってます…🫠)


これからもそんな人たちと共にengawaで対話の場を開いていきたいし、

ひとりの個人としても、対話というものに関わり続けていけたらと思います。



日々、対話の学びをいただいている方々、

そしてその場でご一緒くださるみなさま。

いつもありがとうございます🥹🌿